曹洞宗 智満寺 | 河根法窟・川根大仏の寺

境内ギャラリー 秘仏・千手観音

像高2メートルに達する素朴な彫りの立像があるが、平安時代後期における一木造りで、壮大な気風が感じられる。
第2手以下の手及び本体下部に材質の違いが見られれ後年修理したものと思われる。下台裏に「彩色 延享元年子霜月下旬日、京東洞院仏光寺下町、仏師新助、年23才、彩光金施主当村太田新八郎」と記されている。
※延享元年=1744年
観音堂の創建については明らかではないが、昭和53年現在の地に移される前は、智満寺の西約200メートルほど離れた杉木立ちの中に堂宇があり、その中に安置されていた。
この観音堂は、棟礼によると、『奉造立観音堂壱宇、施主当村、太田伝兵衛、文政13年庚寅正月』と書かれている。
智満寺に残されている文書をみると、「文政12年9月(1828年)伝兵衛、金比羅堂を寄付して観音堂とする」とある。
なおそれ以前、天正12年には火災にあって焼け、文政11年6月には大雨にて倒れたことが記されている。現在の観音堂は、智満寺の整地に伴い、衆堂を改造して造られたものである。

ページトップへ戻る